2014年12月24日水曜日

損得

何が得なのか損なのか分からない、一時的に得しても長い目で見れば損をしていたり、その人の生き方の中で得でも他の立場からでは大して得でなかったり、結局自分がそう思うかどうかのようだ。

2014年12月22日月曜日

エンジュ

 先日友人の家の近くのエンジュの木を友人と切る、いつもながら簡単に考えていてすぐ終わると思いきや斜面に生えていて枝の始末など予想以上に時間がかかってしまう、さらに落とした枝に友人宅に引き込んでいる電話線が引っかかって切れてしまい直すはめに。自分よりも生きてきた木を大切に使わせてもらおう。

2014年10月18日土曜日

漆の木を求

漆の木を求めて会津へ行く、役場の方に山奥のウルシ畑に道無き道を案内してもらい、森林組合の人が切った木を探すけれどなかなか良いものがないので持って来たチェーンソーで役目を終えた老木を切り倒す事になった、切った切り株より新しい芽が生えてまた成長するそうだ。
切り倒した重い生木を運ぶ過酷な肉体労働をするはめになってしまったが快くしていただき感謝。
無事に山奥からウルシを切り出して運ぶことができた。
家に帰ってから畑の銀杏を機械で綺麗に中身を取り出す作業をする。



 それにしてもかぶれる樹と縁がある。






2014年10月3日金曜日

個人的感想

西洋などでパン屋のパンがスーパーのより飽きずに毎日食べ続けられるのは味が均一でなく毎日微妙に違うからではなかろうか?
機械生産のパンはそれ自体では自立できないので、何か他のおかずやジャムなどを必要とする事が多いように思う、手で作った彫刻と3DプリンタやFRPなどで成形したものもそうなのかもしれない。
手でよく出来たものは、そのたたずまいで周囲に空気を作り自立しているように思う、機械生産のものは精緻に出来ていてもコンセプトや過激な表現など何か他のものとの関連で成立するように思える、それ自体では飽きてしまう。

2014年8月28日木曜日

どんなに時間をかけて一生懸命作っても表現の行き先を見失うと意味のないものになってしまう、大きな建造物でも、小さなブローチでも。

2014年6月25日水曜日

息子と東京へ

先日、小一になる息子と田鶴浜さん、今野さんの展覧会を見に魯山へ行った、いろいろなバリエーションの物があって楽しかった、やんちゃな子供には楽しそうな重い物などがたくさんあって、いたずらしたりしていて店主の大島さんに怒られたり、遊び道具を貸してもらったりして騒がしくしてかえった。


2014年6月12日木曜日

ガードレール

いつも通る作業場までの道の脇のガードレールがつぶれて車の破片のような物が道に散乱していた、数日後、花束がたくさん置かれていた、何日かしてガードレールを直す人が来て元通りに直っていた、何もなかったようにガードレールは元に戻って、花もなくなっていた。

2014年5月13日火曜日

東京

病み上がりに突発的に重い腰を持ち上げて、行きたいと思っていた民博の展覧会を見に東京へ行くと
やはり計画性は大切だと痛感した、もう一つ行こうと思っていた店は幸い開いていてよかった。

2014年4月3日木曜日

お金の使い道

以前、娘が友人の子の所へ行くのに花束をプレゼントしたいと花屋へ行き自分のお金で楽しそうに花を選んで送った、自分も楽しく、人にも喜んでもらえるなら正しいお金の使い方に思えた。

近況

水戸に去年引っ越し、こちらに作業場を移すべく計画中。
ハワイアンズに家族で行く、子喜ぶも芋洗い状態の塩素漬けで感染症気味、人肉にトラウマ。
需要と供給のバランスがなっていない、手をもっと動かさねば。